
東京生まれ。1989年にシドニーへ移り住み、大学で工学を専攻している時にシドニーで初の写真個展を開く。その後、シドニー大学芸術学部にて主にインスタレーションを制作、空間について研究、卒業(Honours Degree)。1994年あたりから年に数回、シドニー、東京、ニューヨーク、ミラノを中心に世界各地を行き来するようになる。1998年10月、東京にて映像・空間に関する総合プロダクション、CONSOLSTILE, inc.を設立。
最近の主な展示歴/発表作品(一部省略):
初期の作品と芸術に対する意識ずっと芸術などとは縁がない環境で育ってきたと思い込んでいましたが、いつの日か自分の中にある何かを感じるようになっていました。写真自体を撮るという行為は以前から経験していたのですが、写真を真剣に撮ろうと思ったのは大学で工学を学び始めた頃でした。それまでは写真についの知識などは疎かなもので、誰かに教えてもらったこともなかったのですが、理系で育ってきたのもありまして写真に関する書籍を参考に独学で写真を始めてみたのです。撮るということでさえ未熟だった時に、いきなりカラーフィルムの現像(E-6)から印画紙のプリント(チバクローム)を自分で試みたのですが、工学を学んでいる影響もありまして案外すんなりと成功しました。技術的な面で壁を乗り越えられたので、その後はしばらく集中的に写真を撮るようになりましたが、特にテーマなどは考えずにほとんど無意識な状態でした。その頃の作品が初期の花の写真です。花を被写体に選んだのにも特に理由はなく、ただ単に花というものが私にとって適当なものだったのでしょう。芸術などはまったく意識せず、何か自分でも気付かないものに魅了されながら写真を撮っていた時期でした。
インスタレーションと出会ってとあるきっかけから、大学で工学部から芸術学部に移ることになり、今までとは未知の世界であった芸術というものを初めて意識するようになりました。芸術学部では必然的に写真学科に在籍していたのですが、どうしても芸術を意識しながら写真を撮ることに納得できず、違う分野に注目してみました。陶芸や彫刻、ガラス工芸などに興味があったのですが、知らないうちにインスタレーションを中心に研究を進めていました。芸術学部という環境に触れていなかったらインスタレーションとは出会っていなかったでしょう。写真同様、この頃はインスタレーションも無意識に制作していまして、何故インスタレーションを選んだのかは自分でも分からないままずっと時間だけが過ぎていきました。芸術というもの自体を意識する環境ではあったのですが、極力自分の作品に対しての芸術は考えず、何かわからないものに対する自然なままの印象を作品で表現していました。しかし段々と自分の作品や思想などに対して意識するようになり、何故自分はインスタレーションをしているのだろうと疑問に思い始めていきました。
空間を意識するようになって今でも私が写真を撮るという行為を続けているのは、そもそも写真が根本的に好きだという理由だからではなく、私にとっては苦ではない自然にできることだからかも知れません。その答えがどうであれ、どうして写真を撮っているのかということを自覚するのは大切だと感じない訳で、むしろ私にとって写真とインスタレーションとは何なのか?ということのほうが重要に感じていきました。そこである時から意識し始めたのが「空間」という1つの共通するものでした。花の写真を撮っている時も、他の写真を撮っている時も、写真を撮るという行為は大切ではなく、撮るための空間が大切だったのだと気が付いたのです。インスタレーションを制作している時も、空間というものを無意識に感じているようでした。かといって、写真を撮ったりインスタレーションを制作する際に空間をつくる訳ではありません。私にとって空間というものはとても偉大なものであり、とても人間の力で作りあげることのできない存在で、人間にとっては感じることすら精一杯なものです。ですから、私の作品と空間との関係は、作品がその特定の空間を感じ取るための接触点であり、その空間の存在を知らせるための道具なのです。
自分は何なのか?それまで芸術というものをきちんと学んだことがなく、しかも写真すら独学で学んだため、他の人と自分を比較する基準というものがありませんでした。自分の作品が社会の中でどのような位置付けなのかさっぱり分からず、ある意味不安でした。その上、シドニーでの生活も長くなり、他の国へも頻繁に足を運ぶようになると、自分の戻るべき場所、自分が属するべき場所という感覚が薄れてきました。この結果、どの国へ行っても最初から現地で育ったかのように馴染めるのですが、それと同時に自分が何なのか?自分が帰るべき場所、心の安らぎとなる故郷をも失っていったのです。社会の中での自分を確立するための基準が見当たらず、社会という中で孤立してく自分に不安を覚えていきました。
イサム・ノグチとの遭遇他の芸術家に対してあまり関心がなく、その結果かも知れませんが、他の芸術家の名前や作品の知識があまりない状態で自分の作品を制作していました。しかし、ある日オーストラリアの某テレビ局がイサム・ノグチのドキュメンタリーフィルムを放送していて、イサム・ノグチを知ったのです。日本人名がテレビ番組表に載っていたので興味があって観てみたのですが、イサム・ノグチを知っていた訳ではないので、衝撃はかなりのものでした。それまでは何かに共感できる他の芸術家はいなかったのですが、イサム・ノグチの思想に共感を覚え、今まで不安だった何かが一気に無くなりました。作品に対してはあまり共感しませんでしたが、日本の文化というものに無意識に影響されつつ、自分の属する帰るべき場所に対する感覚が明確ではないところに共感をし、そのような人が自分以外にも他に実在していたという安心感は言葉で上手く言い表せるものではない程でした。ずっと一人で我武者らにやってきたので、この安心感はその後の自分を社会の中で確立するためにも重要なものです。直接的に影響されたわけではありませんが、自分を見つけだすきっかけとなったイサム・ノグチとの遭遇はずっと大切なことであり続けるでしょう。
イサム・ノグチと日本人(補足)多大な影響を及ぼしたイサム・ノグチでしたが、意外にも一般人に対して知名度が低いようでした。日系アメリカ人といえども、日本人として誇りに思える程に偉大な芸術家だったイサム・ノグチを知っているのは、芸術に興味がある人や関わっている人以外にはほとんど見当たらず、同じ日本人として悲しく思いました。インターネット上でも、その頃はまだ日本語でのイサム・ノグチ情報はほとんど無く、関心も低かったようで、是非もっと多くの日本人の方々にイサム・ノグチを知ってもらいたいという思いで情報サイトの運営を始めることにしたのです。始めるにあたって、ニューヨークにあるイサム・ノグチ財団へ足を運び、度々の交渉のすえ、やっとサイト開設の許しを得ました。閉鎖的な財団だった為、条件が厳しく設けられたりして苦労しましたが、最後にはこちらの熱意を認めてくれたようです。多数の方々からの支援を受け、このサイトがさらなる情報内容の充実とイサム・ノグチの知名度を上げるために貢献できることを嬉しく思います。興味のある方は是非ご覧になってみてください。 |
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